PURE PIXY | 1998年 ・京都産業大学FOLKTRAIN夏合宿において、Vo.山本純子、Gu.武田能通、Syn.杉山尚で結成。 当時はEveryLittleThing、TWO-MIX、FavoriteBlueのコピーをしていた。 |
||||
名前の由来は Vo.山本純子の「純」を英訳。 それに妖精を意味する 「PIXY」をつなげたもの。 打ち込み系で4つ打ちビートに のせたキャッチーなメロディが 持ち味。 後期はギター主体の曲、 ドラムンベースやサンバ、R&B のリズムも取り入れ、ポップスの王道を 目指した。 打ち込みの厚みのあるサウンドに ハードロック出身の田中のギターリフが うまい具合に混ざり、ロック好きも一目 置く存在であった。 |
・学祭FOLKTRIN LIVEにてGu.武田が脱退。Vo.山本、Syn.杉山の2人ユニットに。 | ||||
・学祭LIVEPARKにてGu.竹下がサポートに入り出場。 初のオリジナル曲となる「Life」を発表。 | |||||
・秋の1回生聴かせ会にてGu.に田中晶久が正式加入。 2nd.となる「BELIEVE」発表。 |
|||||
1999年 ・自身初の企画ライブとなる「LEVEL1」を開催。 3rd.「白い涙」4th.「Ray of youth」発表。 | |||||
・KBS京都ラジオ「えなっちのFar East Jungle」にて「Ray of youth」オンエアー。 | |||||
・ソニーミュージック、ビクターミュージックエンターテイメントの新人オーディション1次落選。 | |||||
・PUREPIXYの初のフルアルバムとなる「Ray of youth」デモテープを限定100個で配布。 | |||||
・「LEVEL2」開催。これまでのシングル曲、アルバム曲を披露。 | |||||
・Vo.山本が活動休止。 | |||||
・活動再開に向けてミニアルバム「LOVEBREAK」制作開始。 | |||||
・学祭LIVEPALKにて5th.「Autumn Factory」を発表。 | |||||
・「LEVEL3」開催。Gu.田中初楽曲「I break you」発表。 | |||||
・LEVEL3を最後として解散。 | |||||
PUBLIC IMAGE 名前の由来はクリエイター藤原ヒロシのテーマ 「パブリックイメージ」より。 1999年夏から2001年3月の間で9名のボーカルが 入れ替わるという、異例中の異例バンド。 なお6代目、9代目はオファーの時点で消滅。 OSGにとって初めての試みとなるバンド形態による オリジナルバンドであったが、自身が初心者であった ため、楽曲、演奏よりも話題先行のネタバンドとして 見られていたが、本人はいたってマジでやっていた。 初期のサウンドはスーパーカーに影響され ギターポップを中心としていたが その流れから後期は メロコアやオルタナのサウンドとなった。 あまりのメンバー交代のくり返しのため、音源は 存在せず。しかしそのすべての曲をリマスタリングし また世の中に出そうとひそかにたくらんでいる。 |
1999年 ・夏合宿を前にしてOSG初のバンド形態によるオリジナルプロジェクトを構想。 ・Keyオスギの呼びかけで、Vo.アコ、Gu.カズヒロ、Ba.マチノ、Dr.ノリコを迎え結成。 ・合宿中にアコが脱退。二代目となるノゾミを迎える。 ・合宿中にノゾミが脱退。三代目となるミカを迎える。1st.となる「I love you without you」発表。 ・合宿をもってミカ、マチノ、ノリコが脱退。学祭に向けて4代目Vo.マイコ、Ba.ユウヤ、Dr.プレジが加入。 ・オスギ、キーボードからギターに転向。 ・学祭FOLKTRAINLIVEにて2nd.「会いたくて〜I'mstaying〜」 3rd.「いいじゃない」を発表。 ・学祭終了と同時にマイコ、ユウヤがフォークトレインを退部。 ・秋の一回生聴かせ会にてBaVo.となる5代目ミキが加入。4th.「Color」 5th.「Don't run away」 ・ミキが脱退。カズヒロが就職活動のため脱退。 2000年 ・春合宿を前に7代目BaVo.チエが加入。GuVo.オスギとDr.プレジによる3ピースバンドへと変更。 ・春合宿にて6th.「MyArch」発表。 ・合宿オーディションにて最下位を記録。 ・春の説明会ライブに向けて、8代目Vo.リツコ、Gu.フクミキ、Gu.オスギ、Baミユキ、Dr.プレジで活動再開。 ・説明会ライブにて7th.「Myheart,Mysoul,Mylove」 8th.「SO FA WAY」を発表。 ・ライブ終了とともに、Vo.リツコ、Gu.フクミキ、Dr.プレジが脱退。 ・夏合宿にて10代目Vo.イチエ、Gu.センコウジ、Dr.セントウが加入。9th.「メザメ」を発表。 ・夏合宿終了とともに、イチエが脱退。セントウはフォークトレインを退部。 ・学祭に向けて11代目となるVo.リナが加入。Gu.にカズヒロが復帰。さらにDr.プレジも復帰。 ・学祭FOLKTRAINLIVEにて10th.「Advance」発表。 2001年 ・追いコンにてカズヒロ、フォークトレイン卒業。同時にパブリックも卒業。 ・Gu.Vo.としてアオトが加入。 ・LEVEL8を企画、PUBLIC IMAGEの解散ライブとして過去の曲、そして新曲を混ぜ、披露。 ・ライブ終了とともにPUBLIC IMAGE解散。 |
||||
THE OSG 大学卒業後、趣味として楽曲制作を開始。 自身のドライブに聞くための曲をつくるというのが 当初の目的であった。 ’02〜04年までは、おなじみのキャッチーなメロディに ゴーイングアンダーグラウンドや アンドリューWKの影響を受けた、 ドラム、ベース、ギター、のバンドスタイルの音に ミニムーグ風の太目のシンセリードや エモにみられるピアノ音などを取り入れた ものであった。 2005年以降は、既成のサウンドやジャンルに こだわらず、自分がいいと感じるものを作ろうと ピアノが前面に来る曲や、PUREPIXY時代に使った FX系の音も取り入れていくなど、 まさにOSGサウンドが前に進んだ形となった。 さらに楽曲も自分の曲でも、想像の曲でもなく 結婚という大きな人生のターニングポイントを向かえる 友達に、心をこめて作るというスタイルに転向。 と同時に車で聴くために一人で楽しんでいた曲を 結婚パーティで贈呈するというスタイルに変わった。 現在はその時々でボーカリスを迎えて発表するという フューチャリング形式で活動中。 しかし音源はやはりセルフカバーとなる。 |
2002年 ・オリジナルバンド「メルヘンカラーボックス」用に作った曲、「コスモス」「ハッピーバースデー」 「ツツジが丘」をセルフカバー。 ・パブリックイメージで発表した「Color」をリビルドし、「フルカラー」として制作。 ・「リグレット」制作。 2003年 ・「オウタムエッジ」を制作。 2004年 ・フォークトレイン時代組んでいたバンド「コーラフロート」で作った「コーラフロート」をセルフカバー。 ・.「Good-bye グッバイバイ」を制作。 2005年 ・会社の先輩の結婚式に向けて、初のウェディングソングとなる「愛の歌」を制作。 ・会社の同期とのユニット「杉山森」を組み、ホテルグランビア京都にて1st.「愛の歌」発表。 2007年 ・卒業後作った楽曲をまとめたセルフアルバム「フルカラー」を制作。福田剣卒業式にて贈呈。 ・会社の同期の結婚式を向けて、2nd.「瞳」を制作。 ・「瞳」披露に先駆けて、HPにて視聴スタート。 ・フォークトレインの仲間の結婚式2次会に向けて、3rd.「BRIDE」を制作。 ・自身初となる「BRIDE」のPVを制作。 ・フォークトレインの後輩ヤナイとのユニット「スギヤナイ」を組み、梅田バリラックスにて「BRIDE」発表。 ・フォークトレインの同回生の結婚パーティに向け、「アイノカタチ」制作。 ・ウェディングソングを集めた「BRIDAL TUNE」制作スタート。 |
||||
OTHER PROJECT | アイドルセッション ・2000年春合宿にて当時1回生の後輩女子を集めアイドルグループ「おわんこクラブ」を プロデュース。 「LOVEイリュージョン」を発表。 ・2000年夏合宿にて2度目となる「おわんこクラブ」プロデュース。「さまざまサマー」発表。 ・2001年夏合宿で当時一回生女子をプロデュース。「ナツイ夏」発表。 ・「ナツイ夏」、Destinyreyレコードのコンピアルバム「oasobihakokobadeda」に収録、発売。 ・2002年追いコンにて、当時4回生女子をプロデュース「明日はきっと晴れるから」発表。 |
||||
ザ・サンダーボーイズ ・2002年7月クラブメトロにて、ライブ。ハイブズやカトウサルサのコピバンであったが、 OSGの代表作とも言える「お金で買えない思い出なんてないんだよ」を披露。 ・サンダー初の共同作業となる「サンダーのうた」制作。 |
|||||
BACK |